コラム2

はじめに

ここに書いてあることは、依頼者の様々な悩みや苦しみに触れて、この10年位の間に、折に触れて書き貯めたものです。
依頼者に読んでもらったら、好評だったものもあります。 友人達は、とてもユニークだから、是非出版するなり、ネットに載せろと言ってくれます。

実は、40歳半ば頃から、人生観や世界観が大きく変わり、それが書いているバックボーンにありますが、なるべく多くの人が解るように書いたつもりです。
興味あらば、ご賞味ください。



結婚について

1、離婚事件を何件も扱って、つくづく思うことは、多くの人は結婚にあたって不用意でかつ不勉強であるということです。

2、かくゆう私もその例にもれず、不用意に結婚し、子供をもうけ、かつ、離婚しました。もっと小さいときに、具体的には中学生や高校生のときに、「結婚」と言う名で成立している生活のあり方について、ちゃんと学んでおく―カリキュラムとして子供たちに教えておく―必要があるということです。

3、おとぎ話のような、「2人は結婚しましたとさ! めでたし、めでたし!」というようなことではないと、両親を見ればそんなことがわかるはずなのに、つい夢見てしまうのです。

「結婚」とは、一瞬の出来事ではなくて、「結婚生活」という長く続く状態ということを赤裸々に知っておいた方がいいと思うのです。

あまりにも多くの人が、結婚について深く考えもしないで、そろそろ年頃だからとか、周りがうるさいからとか、信用がつくからとか、全然別の理由で、人生の一番大事なことを決めているように見えます。

もちろん「好きだから」と言う理由もあるでしょう。しかし、離婚する人の大部分は、もともと相手を好きだと思ったから結婚したといいます。

4、「結婚生活」というのは、単に「男と女が好き合って一緒に暮らすこと」では、ないということを、ちゃんと教えておいた方がいいと思われます。

5、昔はやった歌に「人は皆一人では生きていけないものだから」という歌詞があります。(ふれあい:中村雅俊の唄、1974年)

  

その通りだと思いますが、「結婚」は、一人で生きられない人が、一人で生きられないもう一人のパートナーと巡りあい、喜びと悲しみを共有しながら、一緒に人生の苦労を乗り越えて生きていくための、国家が認めたシステム(この関係は法律上保護されていますので、そう述べました)なのです。

6、このパートナー探しは、それほど簡単ではないのです。
人生は楽しいことばかりではなく、むしろ苦しみや悲しみなどに満ちています。人生の苦労を分かち合えると思える人、悲しみに沈んでいるときそれを一緒に担ってくれる人、そしてそのパートナーにも、同じようにして上げたいと思える人。
そういう人が、結婚後の長い人生を共に生きるために必要なのです。そういう人とは 喜びも共有できるので、「喜びは倍増し、悲しみは半減する」ということになります。

  

しかし、パートナー候補者は、一緒の家庭で育っていませんので、生活パターンが違います。この生活パターンは、各家庭ごとに異なり、育った本人はそれが当たり前なのに、他人には奇異に感じられることもあるのです。

そこで、私は、夫婦関係は、一種の「異文化コミュニケーション」と思って付き合う必要があるよと言うのです。「違った文化で育った他人同士がどう付き合うのか」と言う覚悟がいるのです。特に、夫婦は、素顔で、普段着で向き合いますから、この文化の特徴をお互いにむき出しにしてぶつかり合う確率が高いのです。そのときに、自分の意見を押し通すために暴力を振う夫が多かったので、DV法*という法律ができて、暴力を振るわれた被害者を救済しようとしているわけです。
*配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律 (通称DV防止法) 公布:平成13年4月13日法律第31号。

  

苦労についてもそうです。何が苦労と思うかは育った文化(育った生活様式)によって異なるのです。

  

またその人特有の原因で、「悲しい」と思うこともあり、一般的原因(事故や病気での死に別れなど)で「悲しい」のじゃないと、なかなか理解してもらえません。

もし、外国人と結婚するなら、明らかに文化が違いますから、生活のあらゆる場面で思考様式も行動様式もちがうという覚悟ができています。これと同じことだと思った方がいいかもしれません。

  

7.従って、夫婦関係は相互理解とその理解したことを相互受容*するという行為なくして成り立たないのです。つまり相手を理解しようとお互いに努力し、かつ相手をそのまま受け入れいれようとしななければ、長続きしないのです。

  

弁護士は、離婚するカップルの一方から話を聞くので、「自分は努力したが相手はこれに答えない、もういやだ」と訴えられます。もしかしたら、相手も同じように思っているかもしれないのです。

  

しかし、両者ともお互いの理解と受容ということを理解せずに行っているので、相手の行動や思想に自分を合わせることに疲れ果てたり、自分を抑える生活のストレスから子供に当たってみたり、不適切な行動をとる人が多いようです。

*受容:この言葉は、一般的会話では、あまり使われません。
「受け入れる」という意味です、相手の考えや態度をそのまま「受け入れる」のですが、 「同意」せよとか、「相手の言いなりになれ」とか言っているわけではないのです。あなたは、別の考えや行動を選択してもいいのです。しかし、「受容」というのは、ありのままの相手を、そのまま「そういう人なんだ」と思って非難したり、批判したり、嫌悪したり、避けたり、しないことを意味します。
非常に難しいと思ってしまいそうですね。それは、ご自分について、自分の性格、行動、好みの傾向、容姿、知性などなどに対し、不満を持っていて、自分自身のそういったものについて、「受容」していないからです。ご自分についても、ありのままの自分を「受容」する必要があります。 どちらが先ということはないのですが、相手との「相互理解、と「相互受容」の努力の過程で、相手を受容するなら、自分も受容されるわけで、結局、自分も相手も、ありのままでいいのだと解って行くことになると思います。

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